書店員の見解と自論『二度目の人生を異世界で』騒動について。
▽やぁ。
▽悲しいこともあるものだね……さて、本題だ。

二度目の人生を異世界で1 (HJ NOVELS)
さて、今回の騒動の発端やその流れについては他のブロガーやTwitter上で散々流れているから僕から何かを説明するつもりはないことを明言しておく。
但し、顛末だけは語る上で前置きとして書いておこう。
結果として『二度目の人生を異世界で』は出版社の判断により出荷等々が停止になることなり、また進行中であったアニメ化も中止という結果となってしまった。
書店員としては、人気シリーズであり確かに『売れ筋』の1つであった為に誠に残念である……が、だ。
既に我が書店にはクレームじみた問い合わせが来てしまったのだ。
『なんでこの本まだ置いてるの? さっさと外したら?』
また売り場を見ていたお客様の呟きとして
『これ炎上してるんだってよ、馬鹿だよなー』
……なんてのも聞こえてきてしまったのだ。
そういう意味では、余計な対応をするハメになっているだろう各書店員も被害を受けた関係者であるとも言えるか。
さて今回、英断をした出版社と関係者には賛辞を送ると共に、文章を書くということを生業としているはずの人間が他者の尊厳を著しく踏みにじる様な文章を『書いたことがあった』という事実には怒りを覚えている。
文章(言葉)とは最も手軽に、誰でも持ち運べる物だ。
それは不定形であり、使い手次第では心臓を貫くナイフにだってなり得るのだ。
最も文字と近しい存在である小説家であるならば、このことは理解していて当然のはずなのだ。
であるのに、問題発覚に至るまで氏は件のツイートを消去すらしていなかった。それ即ち、上記を理解していなかったということになる。
正直、作中でどの国の人間が何千人と殺されていようが、それは創作の中の話だ。元となる話があったとしても、だ。
しかし『作品外』で誰かを傷付けかねない文章を、文字書きは書いてはいけないのだ。
表現の自由なんてのは言い訳にすらならない、言葉の暴力だって立派な『犯罪』なのだから。
そして、その言葉によってその人自身の作品すら貶められることになることを、理解すべきだ。
『作者と作品は別』などと擁護する人間もいるが、それは本質とは程遠い逃避だ。
『作者が作品を作っている』以上『その発言すら作品の一部である』のだよ……。
人間の性格というのは、記憶と経験から生まれるという。
では、同じく記憶と経験から生まれたであろう作品は『その作者の性格すら表す 』のだ。
故に『作者と作品は同一である』と僕は断言する。
たった一人の軽率な発言が発端のこの騒動によって、一体何十人の人間が迷惑を被ったのかは場外の我々には計り知れない。
だがしかし、多くが不利益を被ったのはまず間違いないだろう。
アニメ化企画関係者や出版社の社員、更には担当イラストレーターや同レーベル所属著者まで……。
作家だけではない。僕のようなブロガーも、文章の在り方というものを今一度、考えた方が良いのだろう……。
SNSが普及し、生活の一部として当たり前となってしまったこの社会。皆も、言葉というものの重みを立ち返って考えて欲しい――。
▽悲しいこともあるものだね……さて、本題だ。

二度目の人生を異世界で1 (HJ NOVELS)
二度目の人生を異世界で
著 まいん 先生
イラスト かぼちゃ 先生
出版社 ホビージャパン HJノベルス
2014/11/22 第1巻発売
著 まいん 先生
イラスト かぼちゃ 先生
出版社 ホビージャパン HJノベルス
2014/11/22 第1巻発売
さて、今回の騒動の発端やその流れについては他のブロガーやTwitter上で散々流れているから僕から何かを説明するつもりはないことを明言しておく。
但し、顛末だけは語る上で前置きとして書いておこう。
結果として『二度目の人生を異世界で』は出版社の判断により出荷等々が停止になることなり、また進行中であったアニメ化も中止という結果となってしまった。
書店員としては、人気シリーズであり確かに『売れ筋』の1つであった為に誠に残念である……が、だ。
既に我が書店にはクレームじみた問い合わせが来てしまったのだ。
『なんでこの本まだ置いてるの? さっさと外したら?』
また売り場を見ていたお客様の呟きとして
『これ炎上してるんだってよ、馬鹿だよなー』
……なんてのも聞こえてきてしまったのだ。
そういう意味では、余計な対応をするハメになっているだろう各書店員も被害を受けた関係者であるとも言えるか。
さて今回、英断をした出版社と関係者には賛辞を送ると共に、文章を書くということを生業としているはずの人間が他者の尊厳を著しく踏みにじる様な文章を『書いたことがあった』という事実には怒りを覚えている。
文章(言葉)とは最も手軽に、誰でも持ち運べる物だ。
それは不定形であり、使い手次第では心臓を貫くナイフにだってなり得るのだ。
最も文字と近しい存在である小説家であるならば、このことは理解していて当然のはずなのだ。
であるのに、問題発覚に至るまで氏は件のツイートを消去すらしていなかった。それ即ち、上記を理解していなかったということになる。
正直、作中でどの国の人間が何千人と殺されていようが、それは創作の中の話だ。元となる話があったとしても、だ。
しかし『作品外』で誰かを傷付けかねない文章を、文字書きは書いてはいけないのだ。
表現の自由なんてのは言い訳にすらならない、言葉の暴力だって立派な『犯罪』なのだから。
そして、その言葉によってその人自身の作品すら貶められることになることを、理解すべきだ。
『作者と作品は別』などと擁護する人間もいるが、それは本質とは程遠い逃避だ。
『作者が作品を作っている』以上『その発言すら作品の一部である』のだよ……。
人間の性格というのは、記憶と経験から生まれるという。
では、同じく記憶と経験から生まれたであろう作品は『その作者の性格すら表す 』のだ。
故に『作者と作品は同一である』と僕は断言する。
たった一人の軽率な発言が発端のこの騒動によって、一体何十人の人間が迷惑を被ったのかは場外の我々には計り知れない。
だがしかし、多くが不利益を被ったのはまず間違いないだろう。
アニメ化企画関係者や出版社の社員、更には担当イラストレーターや同レーベル所属著者まで……。
作家だけではない。僕のようなブロガーも、文章の在り方というものを今一度、考えた方が良いのだろう……。
SNSが普及し、生活の一部として当たり前となってしまったこの社会。皆も、言葉というものの重みを立ち返って考えて欲しい――。
コメント